石山本願寺 顕如の息子 教如の足跡を辿る
場所は 岐阜の揖斐です昨日は教如の自画像をお見せしましたので ここで教如の足取りを説明したいと思いますここ揖斐の山奥には教如上人の〔教如の里〕という所があるんですなんで こんな所に足跡を残したのか!それを今からお話しましょう信長VS本願寺の戦いも10年あまりに及んで 朝廷が和睦に入りますが 信長が再度本願寺の寺の土地の明け渡し等 厳しい条件を突付け来た為 教如上人の父親はこの条件を受け入れ...
View Article古渡城 にて信長元服
場所は名古屋市中区です古渡の地は元々一女子という地名でした この地の由来は富豪の長女が嫁いだので一番目の女子という事で一女子と言う地名になり その後古渡となりました信長が登場する時代まではこの辺りには入り江があり 海部郡の方に行く人が海を渡って行き来をしていました しかし この渡しも信長が開拓の為に入り江を埋め立てた為に無くなったそうです信長の父 信秀は 天文3年に当地に平城の古渡城を築城しました...
View Article今川義元の胴塚
織田信長と今川義元との"桶狭間の戦い"にて討ち取られた義元は織田方に首を持っていかれてしまいます残された義元の胴体を家臣達が駿河に運ぼうとしますが腐敗が進み駿河までを断念途中に有った大聖寺で胴体を埋める事にしました何処に埋めたのかがわかるようにと手水鉢をその場所の上に置いたのですその後、義元の息子氏真は大聖寺にて三回忌を行い御墓を立てたと言われます御墓の一番下を見るとわかりますが手水鉢です今川義元こ...
View Article山本勘助の遺髪塚
別件の歴史探索で車を走らせていると、ふとある看板が目についた[山本勘助の墓]と書いてある下調べなどは全くしていなかったのだが、これは行くしかない!と思い花屋を探したが正月だ流石にやってはいない。ドラックストアに有ると思い探したが花市場も休みだからやはり無かった。仕方ないのでお酒を買い御墓に向かった。そこは"長谷寺"という御寺だった"長谷寺と勘助"甲斐に出かけるにあたり勘助は、以前から親しく世話になっ...
View Article山本勘助生誕の地
山本勘助は八名郡賀茂村の山本光行の三男として産まれ幼名を源助と言った。祖父は賀茂神社の神官であった勘助は15才の時牛久保城主牧野氏の家来である大林勘左衛門の養子となった。その為名を大林勘助貞幸と改めた後に賀茂から牛久保に移り住んだというそれから10年経ち元々武芸を好む勘助は多くの武士がするように武者修行に出る立派な武士になるには武者修行が必要だった勘助は剣士の道場の門を叩いては修行に励んだ高野山に登...
View Article織田信長ゆかりの寺 円徳寺
場所は岐阜県岐阜市神田町です円徳寺と言えばTVでもよく紹介されているので有名ですいわゆる岐阜市の街中にあります元々この場所に円徳寺は有った訳ではありません 当時は上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれていますその長旗は円徳寺からも歩いてすぐの場所にあります 今は何も残っていないので この場所に建っていたのですよ!とはハッキリとは言えません…今円徳寺に残されている物としては...
View Article佐久間氏の城 御器所西城跡
場所 名古屋市昭和区御器所です佐久間と言えば佐久間信盛を思い出しますが 織田家家臣には 他の佐久間氏もいました 御器所は その佐久間氏の居城となります御器所にて産まれた 佐久間盛政と言う人物についてお話ししましょう盛政の叔父は佐久間信盛柴田勝家です盛政は身長が約182センチメートルで かなりの巨漢であったといわれます叔父の柴田勝家が越前一国を与えられた際にその与力に配され柴田軍の先鋒を務め 以後...
View Article人柱およしと善光寺
郡上八幡城の改修工事で人柱となった"およし"の話は御存知でしようか?改修工事に使われる材木を乗せた荷台が重く、何人もの男達が押しても全く動かなかったそこにおよしが加わると今からまであれだけ動かなかったのに、スイスイと動くではないかおよしが手を離すと動かなくなるそんな不思議な力を持つおよし城の柱を立てるのに何度やっても立ちません昔からの呪いで人柱を立てる事となり、人柱におよしが選ばれたのでしたおよしの...
View Article池田恒興・元助 父子の墓所
岐阜の池田町には池田恒興とその息子の元助の墓があります 恒興の父 恒利は美濃池田氏の池田政秀に男子が出来なかったという事で政秀の娘である養徳院の婿として養子に入りました美濃池田氏を継いだのですねそして この2人の間に産まれたのが恒興でした恒興の父 恒利は元は尾張の人で織田信秀に仕えており 織田家とは深い関わりがありましたその頃 母の養徳院は信秀の息子 信長の乳母を務めており 後に恒興の父...
View Article信長様とこじき
関ヶ原の山中には常盤御前の墓と伝えられる碑が立っている織田信長が岐阜城に居る頃京都への上り下りにここを通ると、いつも道端に体の不自由なこじきが居た雨が降る日は雨に濡れ、風が吹く日は風に晒され同じ所に座っている信長は不思議がって村の者を呼んだ「こじきという者は住まいを決めず物を求めて歩くのが普通だ、それをあのこじきはいつも同じ所に居る。何か訳でもあるのか?」と聞いた「はいはいあの者はこの村の中山という...
View Article大桑城のむかし話
山県郡の大桑に金鶏山という山がある、昔この板垣に大桑城というお城が建っていたここに美濃国守であった土岐頼芸が逃げ込んできた斎藤道三に稲葉の城を追われたからである頼芸を一気に滅ぼしてしまおうと道三の軍勢は長良川を渡り金鶏山の南の麓にある栢野が原まで押し寄せてきた下から見上げると大桑城はいかにも小さく見すぼらしく思えた勢いにのる道三の軍の前には、こんな城はひとたまりもないようだったそこで道三の軍は「わあ...
View Article馬場信春(信房)教来石民部屋敷
場所は山梨県北杜市白州町鳥原です馬場美濃守信春の出自は美濃の土岐氏一族という説と武田氏一族という説の2つがあります土岐氏説は土岐光衡の子孫が教来石村に土着したという説ですここ山梨には土岐氏が美濃から武田を頼って行ったという話は多々あります 元に甲斐に住む土岐氏出は多いです武田氏説は一条信長の孫 広政が教来石姓を名乗ったことに始まります 一条氏は他の武川衆の祖でもあり...
View Article"赤かべの城" 苗木城の昔話
苗木城にはこんな昔話が残っています木曽川が左に曲がって渕がある底もわからない深い渕だ昔そこに竜がおったその竜を見た人がおると言うが、その人の話によればこうだ二日も三日も槍のような雨が降り続いて、それはやっと小雨止むと川の上に霧が立ち込める川の幅いっぱいに霧が立ち込め、それが川の形のままうねっておる、川も白い竜のようじゃが、そこから出し抜けに白い竜巻が起こって空に登った。それがほんと竜じゃった、銀の髭...
View Article武田信玄公終焉の地
場所は長野県下伊那郡根羽村横旗です三河攻めの折り信玄公は三河の野田城攻撃中に肺肝を患い根羽村で最後を迎えたと言われています ここに信玄塚があり村人にはそのように伝わっている事も確かです『甲陽軍艦』53歳で天正元年 4月12日 三河美濃 信濃三ヶ国の間ねばねの上村と申す所にて御他界とあり 信玄の死に際して哀悼の意を込めて風林火山の旗を横にしたので...
View Article典厩寺 武田典厩信繁の墓所
場所は長野県長野市篠ノ井です川中島の合戦の際、武田信玄の弟である武田信繁はこの寺を典厩本陣として出陣したが、この激戦の中、兄信玄の危機を救う為、自らの名を大声で名乗り敵陣に討ち入ったと伝わってます「わたしの事は心配なさるな、それよりわたしが敵を防いでいる間に勝つ算段を」との伝言を急使に託して…それが信繁の最後の言葉となります…37歳でしたそして、その後信繁の亡骸はこの寺に埋葬されたと言われます信玄は...
View Article武田信玄の御遺骨(龍雲寺)
場所は長野県佐久市です佐久市にある西念寺の仙石秀久の墓参りをした時に御住職が「武田信玄のお寺ありますよ!」って龍雲寺さんを教えてくれました西念寺から歩いて7分くらいの場所に龍雲寺さんがあります 思わずビックリ!勿論家紋は武田菱!さて中に入って行き御住職さんを呼び出す(笑)出て来てくれたのは奥様なぜここに武田家ゆかりのお寺があるのか色々聞いていたら...
View Article"八幡神社⛩"秀吉の安産祈願所
豊臣秀吉が秀頼誕生の際に安産祈願した神社です。ここにある菩薩杉は秀頼が産まれだ御礼に植えたと伝えられ、地元では「豊公菩薩大杉」と、言われていますなかなか子供の出来なかった秀吉からしたら、1人目を病気で亡くし、2人目が出来て、どうか無事に産まれて来てくれる事を切に願ったでしょうね🗺滋賀県米原市西山豊公菩薩大杉
View Article犬千代[前田利家]生誕の地を巡る(速念寺)
場所は名古屋市中川区ですまず向かったのは利家が産まれたと言われる前田城(速念寺)です本堂をよく見てください! 実は利家の兜をデザインされて建てられました まさに利家の兜‼︎いつ頃建てたのかご住職に聞くと1964年の東京オリンピック後で 以前の本堂は別に燃えてしまった訳ではないとの話でした実は この本堂のデザインは安土城復元図を手がけた有名な内藤昌さんだそうで これ又ビックリ!...
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